昭和48年11月10日 月次祭
加藤恵美子
教祖様のみ教えの中に時節を待つておかげを受ける時節を待つておかげを受ける時節を待つておかげを受けると言うことは唯、黙つておけと言うのじゃない、まあ今の言葉で云うとチャンスと云う事だと思うチャンスを逃すなよと云うことだと思う、ずつとおかげ到来の時節が来るね、そのおかげ到来の節と云うのが、これはー般にも言われることですけど人間のー生の中にはもう、此は私は本当だと思うです、天地の親神様が世界中のおかげにおかげがやつてある受けものが悪いからおかげが漏るのぞと仰つしゃる様に誰しも幸せになれるチャンスと云うのが必ずあると言われております、それをつかみえた人がいわば幸運な人ですと云うわけなんです、勿論、幸運とか幸せとか云うことには大変な意味があると思うんです、健康になりさえすればお金さえ儲かれば商売が繁盛さえすれば幸せだと云うことではないけれども、それをー般では幸せと言うとるようです、幸せと云うのはそんなもんじゃない、ですから、そういう例えば云うなれば、いうなればご利益に恵まれる時期と云うものが必ずあるんだ、そのいわば時節をいわばバツチリと受けとめれる、そこに信心があるわけでございます、だから、その信心と云うても唯、金光様のご信者にその名を連ねておると云うだけではいけません、今日、午後からお二方の霊様の式年祭をさせて頂きました、一つは北野の関さんのお宅のご主人の二十年の式年祭でした、もう前々から祈りに願つて願つて今日のお祭りになつた、本当に、驚くばかりのタイミングと云うか驚くばかりの、お繰り合わせの中に今日のお祭りが奉仕されました、此なんかは祈りに祈り願いに願いその事に焦点をおいての信心が今日私が午後に一時からのお祭りでございましたが、私が感じましたような、もう本当にあのね恐ろしいような働きをしてくださる、お花が来てませんでしたから菊の花を沢山頂いてましたから愛子に、お花のお供えをしたらどうだろうか、たくさなりましたけれども、沢山は使わずに皆さん、さつきご覧になつていた、あの庭から萩を切つて来た、もうまつ黄なになつて、しばらくすると散つて仕舞うと云うような感じのいわゆる萩色というか本当にまつ赤な菊とカーキ色の菊とこうあしらつてございました、例えば今日のお祭りは丁度この様なものであつた、これが時期を失したら、唯、切つてもう散つて仕舞うだろう又、信心がなかつたら例えば萩なら萩と云うだけの事では寂しい事になつただろうそれを例えばお母さんのまつかな熱烈な皆さんご承知の迫力のある信心をなさいます、娘さんも時々参つて来る今こちらに二人しかおりませんから、娘さんと二人だけの信心、それが、きな色の菊の花だろううと、お母さんの、いわば祈りに祈り願いに願い込まれた御霊のお祭りに対する所の熱顔と云うものが真赤な菊であろう、それを固めて根元にあしらつてある、という、そこでこの寂しい物が生きた、散る寸前に受けとめた、その姿が今日のお祭りの前後に私が恐ろしい迄に感ずる程しの神様の御働き霊様の御喜びをそこに表わしてみ、又、感じる事が出来る様に、お祭りになつた、そこで私はその事を此はどこまでも氷山のー角なのだ、そして現れたおかげと云うのは、今朝からのご理解の中には心行をさせて頂いておると目に見えるおかげより目に見えぬおかげの方が多いぞと仰せられる、だから信心とは目に見えるおかげを悟らして貰い、きずかしてもらい、そこの所に神恩報謝の心を作つて行くと云うことが信心、信心しておかげを頂いて、恐れいつてしまうというて、思うとるおかげと云うのは、誰だつて目に見えとるからおかげと思うでしょう、例えて申しますとね、今、妹娘が広島の方にいつてます、親先生のお口に合うかどうか分からんけれども召し上がつて頂きたいと云うて送つて来たのが今日着いた、だから私に来たのだから神様にお供えして下さるもんだと思うとつた、所が久富先生が関と書いちゃるもんだから、関弘子と書いちゃるもんだから、此は霊様に来たんだろうとお供えした、それが今朝だつたと云うように云うならば、そういう間違いのない働き、それをバツチリと受けとめる、その受けとめたおかげの又願う、ここの根の所が分からして頂く信心、目に見えるおかげより目に見えぬおかげの方が大いと仰せられる信心、目に見えぬ所のおかげを気づかしてもらい分からしてもらう所に、一日が有り難し、もつたいなし、相済みませんと云うことになるのです、それを例えば目に見えるところに、それを云うても、それは偶然と、こういう具合の人もある、神様ちゃ恐ろしいごたるの、口では言い寄るばつてん感じてない人もある、私ども目に見えるところより目に見えない、ここ迄の働き、ここ迄の神様の働きを思う時にです、ただ唯恐れいつてしまうのです、そこで今朝の御理解を頂きますと目に見えるところばかりを大事にする、目に見えないところを粗末にする、目に見えるおかげより目に見えぬおかげが大きと仰つしゃる、その大きいおかげを分からしてもらうと言うことが、それが信心なのだね、お繰り合わせ頂いておかげ頂いた、そんなら誰だつて喜ぶ、それやつたら、それは氷山のー角、それ迄に至るまでの神様のおかげ働きまだ気がつかないところに様々の働きを頂いておる事を感知さしてもらう、自分の信心の心にキャツチさしてもらうそこから自ずと沸いてくるのが信心も出来ませんのに、この様なおかげを頂いてありがたしということになつてくる、その有り難しが次のおかげを呼ぶ、呼ぶと云うよりその心がおかげを頂き続けるというか頂くことになる、その心がけがないから、おかげを受けておつても、おかげが漏れてしまう事になるね、目に見えるおかげより目に見えぬおかげが多い、そこで私どもは目に見えることは四神様の言葉の中にあります、客殿に額が上がつてましょう、四神様のそのみ教えを教祖様がお書きになつている、それを私が額に表装して客殿にあります。
目に見える所ばかりを大事にして目に見えぬ所をお粗末にするからおかげになりません、と仰つしゃるね、目に見えるところだけを大事にする、けれども人の目の前だけは、いかにもよか信心のごたるけれども、ー歩自分の一人になつて参りますと、もうこれが信心者の、仕打ちかと思う事かと云う様な事ではねえ、目に見えるおかげは、分かつても目に見えぬおかげが分からん、云うなら信心が分からんと云う事になりますね、今日のお祭りの前に霊様にご挨拶申し上げる、それに合わせて久留米の井上さんのお宅の遠い親戚の方、その方は大変な財産をお持ちであるけれども、とり子とり嫁で全然血が綱がつていない、そこで色んな生前中から色んなトラブルがあつて、もう本当に死ぬ間際になつて、もう本当に此だけの財産を、この人達にやるのは惜しいと言われるような事だつた、お導き受けて、ここに何回かその方ここに参られました、亡くなられて、ええ、井上さん達小さいとき大変お世話になつた叔母さんだから、もう亡くなられて十日、二十日、三十日祭と言うふうに、その命日、夜、帰幽日、お祭りをささやかながら、なさつておられた、不思議とそのお祭りの中に姉さんの井上さんも見えるのにいつも驚きよつた、今日なんかも時間前に一人、先に参つて見えました日田の先生が井上の叔母さんの事を言われるのに何事でしょうかと言われるのに井上よしみさんの百日祭を市の上の井上さんからお願いがあつて、もう見えるでしょうと云う様な事であつた、ああそうですか、あの叔母さんは大変御神酒がお酒が好きな方だつたから、そんなら私はお酒のお供えをさして頂きますとおつしゃつた、いつも井上さんが御神酒のお供えをなさらん事はないのに今日だけは御神酒をもつてきちゃなかつた、それ迄にちゃんと井上さんの所に御神酒がきとつた、いうなら甘辛そろうて、お供えも出来た、そして今朝からお夢を頂いた、後から聞かして頂いたんですけど久留米の市の上の井上さんも、やつぱりお夢を頂いて、その叔母さんが丸い釜ですね飴玉そして昆布を求めておられる所を頂かれた、子供が甘えてあーと云うような、この丸い輪がない、その甘えるようなものがない、勿論信心がないから信心の喜びなど全然送つてくれようとしない、だから井上さんに云うなら縋つて見えた、姉さんのほうも今朝から頂かれたその叔母さんの夢を見ました所がいきなり私のこれこぶりつきなさつた、ほんなこと私はそれ聞いてじーんとしましたね、もうそれこそ、食いついて離れんと云うでしょうが、云うならば井上さん兄弟の信心があるから、もうこの人達に食いついてさえおりゃ自分も助かることが分かるから食いついてくる、もう目が覚めて痛かつたちゅうくらいに食いついてくる面白いですね、そうばつてん、そういう表現が素晴らしいじゃないですか、いきなり、その叔母さんが二本の指に食いつきなさつた、目が覚めても痛かつたと言うくらいにね、食いついて離れぬと云うような気持ちで二人に縋つておられると言うこと、そういう色々な云うなならば信仰体験というか、又云うならば不思議な事柄が私ども日常の上に様々に起きて参ります、信心をしておればね、けれども、そこまでになる働きと云うものはです気がつかんね、おかげを受けたと云うところは、これ氷山のー角なんです、まあ、どれだけお礼を云うても実を云うたらたりんのだ、ね、今朝からご祈念の時に私がお芝居が好きですから、この頃久しぶりに、お芝居でのお知らせを頂いた、私はあの先代の松本幸四郎は知つてましたけれども羽左衛門とそれから六代目菊五郎を知らない、この人達が三人組んで例えばお芝居をする、もう後にも先にも、こういうコンビは、なかろうこういう名人は又と出まいと言われて現在でも云われてる、その三人の人達の勧進帳の場面を頂いた皆さんもご承知でしょうけれども松本幸四郎の弁慶それから十五代市村羽左衛門が富樫、菊五郎が義経、言うなれば山伏問答の時に、ここを通すか通すまいか、いやこれが源義経のー行だと大体見破つたけれども、だんだん弁慶の忠節に打たれて通す所があります、それを聞いてる義経が隅の方で、お客さんの方に背を向けて、ずつと金剛杖を突いてから後ろを向いておるだけです、それでいてね六代目の義経はね背中がね背中でねー騎打ちを表わしたと言われている、それは形の上では寸分違わぬ様にあります、踊りの手は決まつているんです形がこう決まつてるんだからね背中でもの言うわけではないけれども、その心が、こう物を言うておるわけー喜ー憂を感じる、こういう名演技の役者が亡くなつた、もう一つはエー直侍とあの三千歳のそれこそ蕩けるようなお芝居ね、新内かなんかにのつてする芝居、蕎麦屋の所です、もう雪景色でその辺りが一面雪景色そこに蕎麦屋がある、そこへ直侍が蕎麦を食べに来てる、そこえ「じょうが」という按摩が来てから三千歳の手紙を持つてやつて来る場面がございます、この「じょうが」を努める、此も又、私も見たことはありませんけれども、噂だけですけれども名人まきすけという役者がおつた、此は名人でした、此は脇役の名人と言われた、その人が例えば、その蕎麦やの門口に立たせて頂いて帰るまでに、もう見取るもんが、ぞごぞごするごと寒うなつたと言われたね、そしてそれが、ひとたび中に入つてお蕎麦を頂くその内、段々からだが温もつて観客に迄、温もりを感じたと言われる位の名人だつた、何でも芸と云うのは同じなんです、けど、そこ迄いくほどしの信心、あたくし共の背中にもの言わつしゃる、それこそ私が有り難いと思うておる事が私が唯ここで座つておるだけでその有り難いと言うものが皆さんに伝わつていく程しの有り難い私にならなければならないと私は思うね、こげん有り難いばい、例えば、ん、なら又実際、私が恐ろしい迄に有り難いと感じている事、皆さんに話しても、そんな皆さんは感じなさらん、ほう、そうですかと言うだけ、内容がない、此だのものを頂いておるのに、これを皆さんに伝えられないと言うことは神様に対して相済まん事だ、口に出さなくても、唯、座つておるだけでも皆さんに有り難い物が伝わつていく程しの、おかげを頂かして貰わなければと私はそういう信心を念願しておる、その為には私どもが目に見える所を大事にすると以上に目に見えない所を大切にさして貰う様な信心こそが教祖生神金光大神がー生がかりで辿られた所が実意丁寧の道であり私は誠の信心とはそれだと思う、目に見える所より目に見えない所を大事にするね、あの人がこう言いござる時それこそ十ぐらい有り難さを感知させる程しの物を頂きたい、毎日お参りするとに、おかげ頂かん、おかげのチャンスと言うものはあるけれども、そのそこが人間の生身と云うか、お粗末ご無礼と云うか、もうあれだけ熱心な信心させてもらい寄るのに、どこから、おかげが漏れて思うような人もあるけれども、やつぱり漏らしておる、今日も四、五日朝の御祈念にお参りして見えないがと思いよつたら今朝参つて見えた合楽の田中さん、丁度取り入れが始まつたからご無礼致しました、ほんとにお参り出来もせんから、もう、それは、ほんとに神様を思うと教えを行ずると言う意味においてはね、お参りするとき以上に心を掛けさせて頂いております、ですから取りあげが済む迄どうぞご無礼致します、けれどもと言うて今日お参りしてきた、そして、お参りして御祈念を頂いてみ教えを頂いている内にですね、やつぱり取り上げたから忙しいからではない、お参りしなければ、ほんなこつちゃないと、気づかせて頂いたと今朝、お届けした、いかにもね、私どもがご無礼しておつても、み教えに本気で取り組んでおつても実際お参りしてみ教えを頂くと、それよりも持つと素晴らしいことだ、本当に言うなら水も漏らさぬと言うならばです、そういう信心からしか生まれてこないものを感じとつた、けれどもね、そのお粗末、例えばむつやさんならむつやさん、ご無礼をしとる間に教えに取り組んでおる事、所がそれがー週刊か十日になると、それが段々薄うなつてくる、いやあ、忘れておりませんと言うだけであつて、やつぱり神様は遠いところにしか見えぬようにな伝来る、そういうところが私はあつて時節は待つておるけれども唯、待つとるだけである時節を待つておかげを受けると云う事はチャンスがある、おかげを受けるチャンスをです、逃さないようにと言うのである、その為には私どもの日々の信心生活がです、ただ、氷山のー角だけを、おかげをおかげと言うとることに留まらず、その根の所を分からして貰う信心その所を分からして頂く為には今日申しましたように目に見えるおかげより目に見えぬおかげの方が多いのですから目に見えない所を大事にするような信心のあり方にならせて頂かなければれば目に見えない所のおかげは受けられないと言うことです、ね、厳密に厳密に云うてですね、教えを行じておる、守つておる、替つて、お参りしている時よりも、と言うふうに田中さんは思つておつて、けどまあ、ちょいと今朝お礼に出てきたのだけれど、親先生やつぱり、お参りしなければいけません、そこに自分の目の荒さを感じなさつたんではなかろうかね、しかもお参りさして頂いてみ教えを頂いてです、どこに焦点を置いて信心さしてもらおうか、神様が下さる所の時期と云うものを見事にキャツチする事の為に様々な工夫がいるのじゃないでしょうか、それぞれに色んな工夫を無さつておられます、皆さん素晴らしい事だと、例えば今日、中村初美さんのお届けをさして頂きましたが姪の保代さんが、あんなじゃから、もう本当はお日参りしてお願いしたいんだけれども出来ない、そこでお参りしない間の、お日届けと言う意味でしょう、北保代北保代のお届けがたくさんしてある、そういうふうに、これは初美さんの信心の工夫であろうと思うね、そういう工夫がなされていかなければね神様がどんなに素晴らしいおかげのチャンスがそこにあつても、ここに、あるとにこちらの方の道を辿つたんじゃそのおかげに巡りあわんと云う事になる、そういう意味で成りゆきを大事にするとか親先生任せとかというような信心は、もうどういう信心よりも、おかげを頂き止めることが出来ると言う理屈も分かるでしょう、今日私、皆さんに今日の霊さんに、お供えしたお花じゃないけれども、ちょつと時間を遅くなすと、もう散つてしまうその寸前にです、まだ今あの紅葉が見事な所を赤い菊の花で決めてある、赤い花で赤い信心の熱情で受けとめてあるだから、それとそれを気づかせて頂いた時にです、私どもはお詫びすると云う手があるのですから、お詫びさして頂いて許されての日々が信心を頂いて先程から申しますように、しあわせとか幸福、只、金が儲かりさえすれば健康でさえあればと、ーつぱんに申しますけれども決してそうではありません、信心で云うと層でしょうが、そこで自分の心の中にです信心の喜び、いうならば、やすらぎ安心の頂ける世界を、いよいよ広げて行く事の楽しみの信心をさして頂かねばいけません、神様はおかげの時節が必ずある、それを受け止めさせて頂く為にも日々を引いたら足していく足したら引いていくと言う答えを出していくような生き方を身に付けたいものですね。 どうぞ